2011年 02月 04日
坂本駅の改札を抜けた私は、早速パンフの地図を頼りにケーブルの駅を目指します 駅前を左に出てすぐ、日吉大社に向かって伸びる幅の広い参道が「日吉の馬場」で、穴太(あのう)積みと呼ばれる自然石を巧みに積み上げた見事な石垣が連なり参道を挟んでいます。いまは参道に立ち並ぶ木々は葉を落としていますが、春季・秋季ともなれば色鮮やかにして参道を染め上げるとも聞きます。その参道は全国の日吉神社、日枝神社(日吉は「ひえ」とも読むことに因む)、山王神社の総本社であるという日吉大社への傾斜地に真っ直ぐに伸びて行きますが、500Mほど歩いた日吉大社のあたりでケーブルへの道が判らなくなってしまいました。 正直、駅からのアクセスこんなに面倒とは・・・と思ったのかどうか、それより駅の程近くにあった蕎麦店がどうにも気になり戻ることに。その蕎麦店は角に「日吉そば」と1軒置いて「鶴喜そば」とありまして、「日吉そば」は営業中の立て札が見えるも人の気配が無く、店先の品書きでイイ値段がするなとは思いつつも「本家鶴喜そば」の暖簾をくぐりました。築120年を超えるという入母屋造りの建屋は落ち着いた佇まい。ストーブの傍らに席をとり、少々遅めの昼食にありつきました。朝・昼が蕎麦でも全然苦ではないのは仕様です(笑 食事を済ませて坂本駅まで戻り、やってきた石山寺行の電車の乗り込みます。ここまでの道すがら南滋賀あたりに良さそうなポイントがあったので、そこで撮り鉄の真似事でもしていくかなと深く考えずに発車を待ちます。ふと、ロングシートの向かいにぶら下がる吊り広告に何とはなしに目をやれば、「湖都古都~」提示で利用できる特別乗車券とあり、その内容は坂本ケーブルの往復乗車券と延暦寺の拝観券がセットで¥1500ポッキリである旨。確かケーブルの往復が「湖都古都~」の提示割引でも¥1260ってあったから、それプラスで考えたら得なセット券だよねと貧乏性丸出しの電卓がピコピコ言い始めます。そしてそこにあるキャッチコピーに私の目は釘付けになりました。 「 日 本 一 長 い ケ ー ブ ル 」 なんとっ・・・! 日本一ってそんなのパンフにも書いていなかったですし、そもそも箱根登山のケーブルで十分長いと私は感じてました。しかし、それが今瞬く間にひっくり返ろうとしています。ならば、ならば行くしかない!「日本一」と聞いてためらう理由がどこにありましょう。 そして私は何と再び坂本駅の改札を抜けたのです。こんな馬鹿げた動きがとれるのもフリーきっぷならではでしょうか。駅前からの日吉の馬場を再び上り始め、先ほど引き返した日吉大社の脇もズンズン進み遂にケーブル坂本駅に到達。その第一印象は「出た」というか、まずその開業時から変わらないであろう駅舎の風貌に思わず見惚れるのです。 1927(昭2)年3月に開業したという比叡山鉄道、通称は坂本ケーブル。その坂本駅の駅舎内部に足を踏み入れれば、天井から吊るされた瀟洒な灯具が出迎えてくれます。その根元には円形の台座。琴電の屋島駅や滝宮駅と同様の意匠が感じられますが、坂本駅のそれは華やかな装飾がなされているので尚立派に映ります。 早速、出札口で「湖都古都~」をこれ見よがしに提示しながら件のセット券を求めます。それを手にして改札に向かいスタンパーで入鋏、「ありがとうございます」という丁寧な挨拶の後に手渡されたモノは・・・って、カイロ?手渡しとシンクロして改札サンの口を突いて出てきたのは「寒いですから・・・」という信じ難い一言。それは単なる親切心なのか、はたまた比叡の頂は想像を絶するような気象状況があるのか・・・この時私が抱いた緊張とも衝撃とも言える感慨が想像できましょうか。 そういえば、先ほどの中吊り広告には「事前に(比叡山)の天候を確認のうえ、相応の格好でお越しください」みたいな事が記してあったような(汗 一応、防寒の準備はそれなりに携行しているのですが、「タダの寒さ」では驚かない私にどれほどのインパクトを与えてくれるのでしょう。あれこれ思いを巡らせているうちに、前方の監視員サンと技術系の職員サン、そして私を乗せた14:30発の「福号」が動き始めました。 ここ坂本ケーブルこと比叡山鉄道は1927(昭2)年3月に開業し、現在運行されている「福(ふく)」「緑(えん)」の各車は3代目に相当します。1本のケーブルと巻上げ機によって2台の車両を上下させるいわゆる「交走式」(つるべ式とも言う)によるオーソドックスな路線です。坂本~延暦寺間の標高差は480M、最急勾配は333‰と大人し目?の数字ですが、やはり坂本ケーブルの大特徴はその全長2025Mという路線規模であり、我が国のケーブルカー(鋼索線)において全長2000Mを超える唯一の存在でもあります。 坂本ケーブルの名物としてはやはり途中駅の存在があります。ケーブルの途中駅といいます身近な例では箱根登山をイメージしますが、温泉街というロケーションとは異なり坂本の途中駅は事前に申し出ないと停車しない、言わば「秘境」のロケーションにあるのです。画像は坂本の次駅に位置する「ほうらい丘」駅。坂本ケーブルの建設時に発掘されたという数多の石仏を祀った霊窟がホームの傍らにあります。この石仏群は信長による比叡山焼き討ち(1571年)の犠牲者を弔ったものと言い伝えられているそうです。 ケーブルカーと言いますと概ね「真っ直ぐ」に敷設するのがセオリーに思えますが、ここ坂本ケーブルは乗車すれば当然ながらも、地形図上でもその線形が右に左にカーブしているのが判ります。これは坂本ケーブルの建設にあたって延暦寺からの「霊山に開発の痕を残さぬように」という要望と、坂本の日吉大社から「大社社殿を見下ろされること」への懸念を受け、山肌に線路敷が浮かび上がらないようにするために敢えてトンネルを2箇所設けたり、日吉大社を見下ろさないようにするためのコース取り等、それらへの配慮による結果なのです。 坂本ケーブルは開業時から長らくの間サービス電源の供給を吊架線からとしていましたが、架線柱自体の老朽化や、積雪による倒木による吊架線切断などが繰り返される事から、車載の蓄電池によるサービス電源の供給へとスイッチしました。ところが吊架線が無くなったはずにも関わらず、未だに車両の頭上では菱形のパンタグラフが中空に揺れています。これはもちろん飾りなどではなく、坂本と延暦寺の駅構内のみに残置した吊架線から「充電」させるために機能させているのだそうです。 中間の交換所を過ぎて延暦寺の手前に位置するのが「もたて山」駅。「土佐日記」の作者紀貫之が眠る墳墓までは徒歩10分ほど。ホームの傍らには「土佐日記発祥の地」の標柱もあります。今回往復乗車した限りでは、自動放送では「ほうらい丘」については申し出れば停車する旨あったのですが、「もたて山」については沿線ガイド程度でしか触れられませんでした。ただ、画像でお判りの通り急傾斜のホームは積雪で危険な状態でもありますので、冬季間はあえて原則通過扱いとしている可能性があります。ちなみにどちらの途中駅からも乗車の際にはホーム備え付けの電話にてコンタクトをとるとか・・・まるでデマンドバスです。 所要片道11分、タップリと日本最長のケーブルを満喫しました。しかし車内には暖房器具の一切は無く、頼りなげな液晶の室温計は6℃あたりを行ったり来たり。車内での吐息が白くなるのは我が家も同じですから別に驚きません。むしろフツーです(笑 画像は比叡山駅駅舎・・・こちらも開業時からの佇まいを有しており、かつて2階には貴賓室(現在はギャラリー)も備わっていたとか。 坂本からの車中、その高度を上げるにつれて所々から琵琶湖を一望しながら延暦寺に到達したわけですが、延暦寺駅の傍らからはその一大パノラマが展開しています。それではご覧いただきましょう。 「見遥かす 湖国の景に胸うたれ 頬刺す寒風 暫し忘れん」 人は・・・感動を超える感動を覚えた時にどのような表情になるのでしょう。頬が緩む?それもあるかも知れません。しかし私はこの時、はっきりと「ひきつった」のを感じました。それは寒さのせいであったのかも知れませんが・・・。私が今視界に捉えている琵琶の湖は、その全体からすれば南部の一端に過ぎません。しかしながら手前に架かる琵琶湖大橋や遠方に薄霞む我が国唯一の「淡水湖における有人島」である沖島の姿を認めれば、そのスケールの遠大さに感嘆せずにはいられません。 それを縁というのか、人の世におけるキッカケは本当に判らないものです。はっきり記してしまうと「けいおん!」がもし私に関わらなければ、京都を再訪することも嵐電に注目することも、そして近江鉄道に心酔極まることも絶対に考えられませんでした。断言できます。そしてここ比叡へのアプローチも、湖国の素晴らしい景を目にすることも、恐らく無かったのでしょう。 これまでの故国逍遥では味わえなかった感動の余韻は尽きませんが、先へ進みましょう。ケーブル延暦寺駅から鬱蒼たる木立ちの山道へ・・・除雪はされていますが明らかに下界とは擁すが異なります。歩くことおよそ10分程度、ついに比叡山延暦寺(東塔)に到達です。 開創1200年の歴史を有する延暦寺は我が国における仏教の最大聖地といわれ、それは数多の宗派を開創した僧がここ延暦寺での修行を経て教えを開いていったことによるものです。画像は東塔(とうどう)と呼ばれる区域にある「根本中堂」で延暦寺の総本堂にあたります。最澄(さいちょう)による開創以来1200年間灯り続ける「不滅の法灯」は堂内に見えますが、これは信長による焼き討ちで一度潰えたものの、山形の立石寺に分灯されていたものを移して今日に至るのだそうです。ちなみに堂内に向けての撮影は禁じられています。 大講堂からは長いツララが・・・。この大講堂は坂本の東照宮の讃仏堂であったものを1964(昭39)年に移築したものであり、かつての旧大講堂は1956年に焼失しています。延暦寺はここ東塔を初めとして西塔(さいとう)、横川(よかわ)による「三塔」で形成されていて、それら全てを巡ろうとするとなるとバスでの移動が必要となるほど。事前の下調べはもとより時間配分もなさなかったので、僅かな滞在ではありますが比叡山を後にします。そういえば山の反対側の八瀬側からも叡電とケーブルとロープウェイでアプローチできるわけで、この縦走コースも考えてみたいですね。但し、八瀬側のケーブルとロープウェイは年末年始を除いて冬季運休となっていますので、くれぐれもご注意を。 戻りのケーブルは往路と同じ「福号」。今度は他の旅客とも合い乗りで坂本を目指します。坂本からは今度こそ?石山寺行の電車に揺られ、三井寺で下車。行きがけにチラっと見えたレンガ積み橋台のウォッチングです。三井寺駅そばの琵琶湖疎水に架かる似非チックなレンガ橋ですが、橋台はかつて湖西線の建設によって廃止された江若鉄道のものです。画像は浜大津方ですが反対側にも残存し対で揃っています。この前後の江若鉄道廃線敷は道路として残り、地形図上でも明瞭になっています。 三井寺から島ノ関へ移動、徒歩でようやく今夜の宿に投宿です。 ここで荷物を置き、軽く一息ついたところで夜の浜大津へと向かいます。 (つづく)
by ar-2
| 2011-02-04 19:29
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