赤い電車は白い線

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2010年 11月 09日

潮風の向こう側~秋色の銚子へ(前編)

去る11月3日、鉄道模型仲間数名で銚子への日帰り行に出向いてきました。



この11月3日というのは、5年前の同日に催された某運転会を端緒として「倶楽部」と称すまでに至った事から、倶楽部の「創立記念日」とされています。その5年目を記念した催事としてホリデーパスを用いた「1/1すごろく」が企画されたものの、タイミングが合わずに所定人数を満たせなかったので中止。今回の銚子行はその代替として催行されたものですが、アプローチは東京駅9:40発の「しおさい3号」とゆっくり目のスタートです。
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257系500番台に乗車し一路銚子へ。房総特急というと個人的にはバスに押されて「凋落の一途」というイメージが強いのですが、この「しおさい3号」は時間帯が良いのかそもそもの需要があるのか、1両のみの指定席は満席で自由席もそこそこ乗っていました。銚子からはあまりにも有名すぎて解説の必要も無いほどの銚子電鉄に乗ります。あの「濡れ煎」の売り上げが鉄道の運賃収入を大きく上回っているのも有名な話。やってきた銚電は1000形1001号の「桃鉄号」です。桃鉄、昔友達の家でプレイしましたっけ(懐
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この1000形はの種車は言わずもがなの営団地下鉄2000形でして、客室内壁面には瀟洒なデザインの非常灯も残り面影を感じます。このクルマが営団で現役であった頃、赤坂見附で見た「瞬間停電」をかましながらの入線シーンを想起せずにはいられません。赤坂見附と言えば、開削断面の暗闇の彼方から聞こえてきた「プォーッ」という乾燥気味のタイフォンが、2000形と接する数年前に訪れた函館の地で聞いた市電500形のそれと全く一緒であったことに大変驚き、その音色は今も鼓膜に深く刻まれ忘れ得ません。今回の銚子行でも軽く踏み込んだ「プォッ」という変わらぬ音色を聴く事が出来ましたが、現存する500形でも今も聴けるのでしょうか。
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車内の天井を見上げれば異様な状態の扇風機が。この1基のみかと思いきや全てこの状態でしたので、時節的にわざと外してあるのか、それとも半永久的なものなのか・・・。また暑い時期にでも乗りに来れば答えは見つかりそうですが気になります。
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1001号を含めて銚電の旅客車は全てワンマン化されていますが、本列車には多客に対応してか一日乗車券や車補券の発売要員が乗車。お約束の「弧廻手形」¥620を購入して程なく発車、走ったか走らないか?のうちに仲ノ町に到着です。ここは銚電の車庫が併設されていて、入場券(¥150)を購入すれば構内見学が可能となっています。硬券入場券を求めて早速入ってみましょう。
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まずは銚電のマスコットであるデキ3形、全長5メートルにも満たない独国生まれの古典機関車です。その手前にあるイコライザー台車は鶴見臨港の買収国電を出自とするデハ301が履いていたもので、現在は仮台車として使用中です。
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敷地内には使い古したパンタグラフのストックや、何基も散って置かれているリフティングジャッキが目に付きます。これは客室と乗務員室の仕切り扉のように思われますが・・・伊予800のものでしょうか?
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やがて銚子行の2001Fが入線し、傍らの2002Fと肩を並べました。
この2000形は本年夏より営業を開始し、是正勧告を受けていた老朽車両の一掃に貢献、新生・銚電のシンボルとなるものです。その老朽化した車両の代替として銚電はかつて京王3000系の購入を画策しましたが、諸改造に関わる予算計上が難しく見送られました。これの主因としては1500Vからの降圧がネックであったことがよく言われますが、他にも銚電での使用に敵った改造として両運転台化もしくは電装品の移設といった大掛かりな工事も想定されたと思われ、何にしても背伸びし過ぎたセレクトであったと言えます。

そのような中で大抜擢されたのが伊予鉄道で活躍していた800系。これはもともと京王の2010系を出自とするものですから、近年では異例の「再中古」の扱いとなるわけですが、当時の銚電にとっては恥も臆面もあったものではなく、2連という過大にも感じられたスペックながらも降圧も改軌も必要としなかったことから、伊予800自身にとっても想像だに出来なかったであろう関東での再起が決まったのです。
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京王最後の「グリーン車」2010系は、京王重機初の他社向け整備によって伊予鉄道800系として生まれ変わり1984年夏に再デビュー。当初はMc-T-Mcの3連でしたが、後に輸送需要の変化からTの片側に運転台を設けTc化し、Mc-Tc+Mcの変則3連となりました。銚電にやってきたのはこの内のMc-Tcの2連でして、Tc化によって設けられた京王5000系似の前頭部とMcの湘南顔の対比が絶妙です。
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個人的に目が行くのは当然のごとく下半身(笑 外川方のクハ2502(昭37・日車)が履くのはNA-318T台車。伊予時代はサハ853(→クハ853)ですが、京王時代が資料によってはサハ2521、サハ2576と二説あり判然としません。ひょっとして台車が振り替えられたりして混乱したのでしょうか?そしてこのNA-318Tは当然のように元々は1372mmゲージだったわけですが・・・。
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伊予への転出に際しては台車枠の幅はそのままで1067mmへと狭軌化がなされています。平時、ゲージが変わる場合は台車ごとの交換がデフォであると思うのですがどうなんでしょうね。ナカナカ強烈なビジュアルです。
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こちらは銚子方のデハ2002(昭37・日立)が履くTS-307台車。伊予時代はモハ823、京王時代は八王子方先頭車のデハ2069でした。このTS-307台車は改軌の痕跡が見えず首を捻ったのですが、帰宅後の調査で京王井の頭線の「グリーン車」1000系のデハ1050形が履いていたと判明し合点がつきました。井の頭線のゲージは1067mmですから、こちらはセオリー通り?に台車を交換したわけです。電動車ですとやはり色々面倒なのでしょうかね。にしても馬車軌間(1372mm)と狭軌(1067mm)の「グリーン車」コラボとは何ともユニークです。

仲ノ町での見学を終え、銚子から折り返してきた2001Fで下ります。
(つづく)
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by ar-2 | 2010-11-09 17:59 | 外出・旅行


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