赤い電車は白い線

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2010年 03月 28日

名残りの春を行く「四社直通」DC列車(前編・邂逅のキハ8500)

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大分前のある席で「(会津の)キハ8500がそろそろらしいね・・・」などと話しているウチに、何だかんだでハナシが纏まって日帰り行が決まりました。そのプラン練成においては、東武の100系「スペーシア」も以前から度々去就が話題となることもあって行程に組み入れることとなり、東武線から野岩、会津を経てJRで戻ってくるオーソドックスなプランが組みあがりました。

このコースですと未乗の東武鬼怒川線鬼怒川公園~新藤原間のみならず、野岩鉄道と会津鉄道の全線が踏破できてしまうというもの。事前に東武の株乗(約¥800)もチケットショップで購入し準備万端、あとは当日を待つのみとなり迎えたるは3月23日・・・。



早朝の地元某駅。日頃の早番通勤時と変わらない時間に出向きますが、気分が全然違うのは何故でしょうね(笑 同行のgino-1氏と合流して新橋へ出、銀座線に乗り換えて浅草に向かいます。まずは100系「スペーシア」で新栃木までの乗車です。
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こんなのが許されるのは模型だけだと思っていたんですが(笑 しかし何時来てもここ浅草駅の空間はシュールですね。三連休明けの朝方では閑散としているのも無理は無いですが、それでも御馴染みの駅弁専用売店はしっかりと商い中。駅弁・・・プラス燃料を確保してホームに停車している「けごん1号」に早速乗り込みます。
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新しいと思っていた100系もいよいよ20年選手です。果たして後継車は現れるのか・・・そしてそれは何時のことになるのでしょうか。20年前というとバブルが崩壊しつつあった頃ですが、100系のインテリアはその頃を彷彿とさせる仕様となっています。肘掛に収納されている折り畳みテーブルや座席背面の足置き、それと今は機能がありませんがシートの背もたれにはスピーカが内臓され音楽等?が聴けたはずです。そして画像の如き悪趣味(笑 の金色の帽子掛け・・・今となってはどれも懐かしささえ感じるアイテムです。
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リクライニングシートに身を委ね、逆方向に向かうスシ詰めの列車を尻目にアルコールを貪るという贅沢を堪能しながらクダを巻き、やがて新鹿沼着。ホームの向かいに目をやれば・・・「想えば願いは通ずる!」彼はちゃんと姿を見せてくれました。
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新鹿沼を後にして下今市へ。ここから鬼怒川線へと向かうべく6050系に乗り換えです。車内では1/150の「61101F]を肴に・・・。
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そして鬼怒川温泉着。隣の線路に・・・居ました!私にとっては2001年9月30日、新名古屋で見送った「北アルプス」最終列車以来、実に9年振りの対面です。塗装や外観は大きく変わっていませんが、かつて「北アルプス」の行灯があった部分には「AIZUマウントエクスプレス」の表示、そして隣に並ぶ6050系が確かに「会津のキハ8500」を実感させます。
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このキハ8500形は、永らく継続されてきた名鉄車によるJR高山線乗り入れ運転の掉尾を飾るもので、それまで使用されてきたキハ8200形の置き換え用として1991(平成3)年にデビューしました。インテリアやエクステリアのそれは「名鉄色」の強いものですが、メカやその他取扱い面においては高山線内での併結相手となるJRのキハ85系と同等としています。
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このキハ8500形「北アルプス」といいますと、単に新名古屋(現・名鉄名古屋)~高山間往復のイメージが中心となりますが、実際にはナカナカ凝った?運用が組まれていたのです。まずはいきなり見苦しいですが、当時の手書きのメモ&イラストです。この配線図下のメモにあるようにキハ8500は本線の新川区(須ヶ口最寄)をベースとしていましたが、給油設備は自区内には有さず支線である津島線の隣駅、甚目寺にて行っていました。そして給油後に再び須ヶ口まで戻っていったのです。
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これがその甚目寺の給油設備の点描です。右画像は同設備を須ヶ口方から撮影したものです。
キハ8500が居るのが給油線ですね。メモには「昼間は電車留置」とありますから、恐らく現認したのでしょう。
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給油を済ませて須ヶ口に戻ったキハ8500は構内の豊橋方にあるY線で再び折り返し、今度は新岐阜(現・名鉄岐阜)へと向かい、何とここから常滑行の全車特別車特急として「アルバイト運用」をこなしてしまうのです。左画像は新羽島行普通電車との並びで、間違いなく新岐阜での撮影によるものです。右画像はキハ8500の「常滑行」字幕で、きちんと装備されていました。全線「架線下」の私鉄DC特急というのもナナカナ稀有な存在だったはずです。それも電車に伍せるスペックだったからなのでしょうけど・・・。
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常滑からの折り返しは金山行全車特別車特急としてで、金山~新名古屋間を回送のうえようやく「北アルプス」の運用に入ります。高山発「北アルプス」は、恐らく新名古屋から金山まで回送し折り返して須ヶ口へ向かったのではと思います。画像は常滑行ではなく本来の姿の「北アルプス」での運用時です。左画像は今や伝説と化した犬山併用橋を堂々行くキハ8500形。右画像はその最終日である2001年9月30日、喧騒の新名古屋における最終下り「北アルプス」の発車直前のシーンです。この2001年9月30日は「北アルプス」のみならず、名鉄内における八百津線、大須線末端、黒野以遠の揖斐線、谷汲線が廃止された日として私にとっても永世忘れられないものです。1997年の横軽然り、9月30日という日付には大きな節目が絡むように思えてしまいます。
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幾つもの感傷の記憶・・・そこから目を醒ませば眼前にあるのはキハ8500の痛々しい姿でした。寒冷地における使用というのもあるのでしょうが、やはり一第三セクター鉄道にとってこの車輛はスペックが過大すぎたようです。キハ8500の名鉄からの引退前後の頃、某巨大掲示板には専用のスレが立ち早すぎる引退を惜しむ声が広がりました。やがて決まった「会津鉄道入り」には歓喜の渦が巻き起こり、当時の記憶では一日と持たずに新スレが消化された筈です(ちょっと曖昧ですが)。

そしてそこでは「都心直通運転」の夢が大いに語られました。決して非現実的と言い切れるものではありませんが、当時の会津鉄道としてはどのような意図があってこのキハ8500を受け入れたのかでしょうか。やはり、そういうことだったのでしょうか?しかし、夢は夢に過ぎなかったようです。あれから9年、齢20年を目前にしてキハ8500は「老朽化」と「維持困難」を理由についに会津からも去ることとなりました。果たしてキハ8500に途はあるのか・・・その去就は多くのファンの関心の寄せるところでしょう。
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名鉄で触れたあの日々を思い出し、いま私にとって最初で最後の「会津のキハ8500」の旅が始まります。

→「後編」
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by ar-2 | 2010-03-28 17:20 | 外出・旅行


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