2010年 03月 13日
先の記事でも記しましたように、昨日深夜の退勤後上野に立ち寄り「北陸」を取り巻く喧騒を眺めてきました。 もともと私はこの「イベント」に顔を出すつもりは毛頭無かったのですが、最後の刻が近付くにつれ「ある」事を思い出してしまったのです。 それは 「14系14形寝台客車は、私が生涯で初めて乗車したブルートレインであった」 ということなのです。 1994(平成6)年12月28日夜、家族での九州旅行へのファーストトレインは臨時の「あさかぜ81号」・・・そう、14系寝台車による編成であったのです。 この平成6年12月というのは「みずほ」が廃止された月であり、まさにその直後の乗車だったのですが、それでもまだまだ対九州のブルトレは健在で 今からすればば何故に臨時の「あさかぜ81号」だったのかとも思いますが、乗車日を見れば瞭然の通り年末のピーク時・・・ そう、定期便のブルトレは軒並み満員で寝台券が取れなかったからに他ならないのです。信じ難い事ですがこれが16年前の現実でした。 当時の私にとってブルートレインは初乗車。憧れというほど大それたものは無く、むしろ未知の空間への期待と不安の交錯があったのだと思います。 ファン的には「あさかぜ81号」というと20系客車のイメージが強く、14系14形を正直残念にも思いました。でも、それは贅沢というものですね。 横浜から乗車したハネの開放寝台の一区画、ここで生涯初の「夜」を過ごすことになると悟った当時の私の心境はいかばかりかだったでしょうか。 通路側の折り畳みイスも上段寝台へのこれまた折り畳み式の梯子も珍しく、きっと私は眼を輝かせていたに違いありません。 画像はその乗車時に沼津で停車中に撮影したもの。まだ時間が遅くなかったのでしょうね。当時のメモにはスハネフ14-9ほかとあります。 この時、私は今のようにナカナカ寝付けなかったという苦しい記憶はありません。 きっと、きっと熟睡し、「25時の子守唄」に優しく包まれ、ミッドナイトの東海道をブルートレインに運ばれ旅をしていったのでしょう。 あれから16年・・・東海道ブルトレはとうに「全滅」という信じ難い現実があり、あの14系14形寝台客車もついに終焉の時を迎える事となったのです。 厳密に言えば今も「はまなす」で14系寝台客車は運用されていますが、残念ながら私はあの24系に内臓を移植したクルマを 14系寝台客車と認めることは出来ません。私のなかでは「北陸」の14系14形寝台客車こそがその悼尾なのです。 喧騒の上野駅13番線。どう見ても撮れる角度ではないのに14番線側までギャラリーで一杯です。ホーム上では寝台券を手にした人の姿も・・・。 春休み中ということもあってか最終「北陸」のチケットは完売。ちょっとどころか結構羨ましい・・・私も時間があれば乗りたかったです。 ここに居ても撮れるモノは無く人混みを眺めるのみで、手にぶら下げた「別れのリザーブ」が所在無げです。 と、ここで某氏から助言のメールが・・・ 「最後は鶯谷のホームから見送るのもよいかもね・・・」 と。 私はハッとしました、あの「富士・はやぶさ」最終下り列車を東京駅で罵声・怒号で汚した一掴みの狼藉者たちとは対照的に、 六郷川の河川敷に集まって爽やかに見送った諸氏・・・その一部始終を「ようつべ」で観て涙を流し続けたことを思い出したのです。 そう、こんな場所でまっとうに見送れるはずはありません。去り行く姿を見送るもの、静かに佇める場所を選ぶべし。 発車まであと10分・・・間に合うっ!私はすぐさま北行に乗車して鶯谷へと移動したのです。案の定というか道路橋上にも少数ながらギャラリー。 私もここで・・・と思ったものの歩道の幅員は決して拡くなく邪魔にもなると考え、結局駅へとUターン。 南行・外回りのホームからオーソドックスに見送ることとしました。そして23:03発の南行がホームを離れて程無く・・・。 2灯の前照灯を燈したロクヨン1000にエスコートされ、14系14形寝台客車は上野を後に静々と姿を現しました。 私の視線は一点、それは決して「北陸」のヘッドではなく14系14形の丸い三面折妻の愛嬌を帯びたフェイス・・・ああ、何と愛おしいでしょうか! ホームで迎えたファンの前をロクヨン1000は「ピィーッ!」と汽笛一声、ネオンを湛えた鶯谷を後に闇夜の中へとテールを残し、走り去って行きました。 涙はありません、最後は笑顔で。私にとって「初めてのブルートレイン」であった14系14形はついに現役から退いてしまったのです。 かつて鉄道が陸上交通の「王」であった時代、支線区のような枝線へも優等列車が乗り入れ幾つもの「多層建て列車」が運行されていました。 当のブルートレインも言うに及ばず、20系客車においてはマヤ20を必要とする事態を迎え、その折の煩雑な手間を省くべく研究開発されたのが 14系14形寝台客車だったのです。その試作車の初運用が旧形客車との併結!まさに分散電源の特性を活かしたものでした。 やがて14系14形寝台客車は北海道から九州まで幅広く運用されるようになりますが、昭和47年に発生した「北陸トンネル火災」は その増備過程に重大な影響を及ぼし、「旅客車輛の床下に火元となりうるディーゼル発電機を設けるのは危険」との見解から、 同形の製造は一旦中止されてしまうのです。 その後昭和53年になって改良の上製造は再開されるものの、見た目は24系のそれとなり形式も14系15形へと変化してしまいました。 分散電源寝台客車の嚆矢にして外的要因で発展の途を一度絶たれた14系14形寝台客車。 その掉尾をあの外的要因をイメージさせる「北陸」を名乗る列車で締めくくられたことは、運命の悪戯とは言え皮肉の極みと言うほかありません。 「さくら」の33年には一歩及ばないものの、32年に亘って14系14形は「北陸」に君臨。まさに同形と「北陸」の結びつきの強さが感じられます。 ディーゼル発電機のサウンド間にジョイントが割り込むあの音色はもう過去のもの。それでも「あさかぜ81号」で耳にした25時の子守唄はまだきっと、 私の脳裏のどこかに残っているのでしょう。さようなら14系14形、私にとっては24系以上に存在感のあるブルトレでした・・・。
by ar-2
| 2010-03-13 19:32
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