赤い電車は白い線

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2010年 02月 09日

麗しき古豪よ永遠なれ!津軽・函館厳寒紀行 (2日目大鰐線・それは奇跡の始まり)

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2日目前編から。
念願の津軽大沢到着。のび鉄氏の提案であった「東急6000系の撮影」。私もその瞬間を待ちわびていました。構内では弘南鉄道の方たちが総出で除雪作業中・・・。我々は駅を出て検車区裏手へと向かいました。



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こじんまりした駅舎を出てすぐ目に入るのが、この電車型倉庫(笑 言わずもがなの6000系中間車ですが、弘南へは部品取り用として6105~08の4両の中間車が譲渡されていますから、いずれかの1両でしょう。
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積もり積もった雪に足をズボズボと突っ込みながら、検車区裏手の農道?へ・・・居ました。私がカラーブックスでその姿を認めてから数十年、ついに1/1の実車と対面することが出来たのです。東急時代を思わせる帯無しの編成は6005+6006。先程見えた赤帯入りの編成は6007+6008です。

この6000系、定期運用を失った上に2008年には「さよなら運転」がなされたものの、車両需給の都合から生き残ることになったという強運の持ち主。すでに帯無しの6005+6006は車籍抹消済ですが、6007+6008は今も貸切運用等への充当があるようです。その6000系も、本年2010年に予定されているという「新車」の投入により、いよいよ命脈の絶たれる公算が高くなってきました。その新車の両数如何によっては6000系のみならず、7000系にも影響の及ぶことは十分に予想できましょう。
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東急6000系は1960(昭和35)年、「全電動車でありながら経済車」という相反する条件を満たすというスペックを目指し、それまでの東急には無かった両開き客扉・回生制動を採用したニューウェーブとしてデビューしました。特に6000系を印象付けるものとしては「1台車1モーター駆動」であり、これは国内でも限られた車両でしか採用事例がありません。6000系は当初、東洋電機製の平行カルダン駆動(A編成)と東芝製の直角カルダン駆動(B編成)とが製造され、比較検討の結果A編成をベースに量産されました(C編成)。とはいえトータルでも20両しか製造されなかったあたりに、結果としてメンテナンスの複雑さ等が経済車としてのメリットを殺してしまい、後が続かなかったことが窺えます。

弘南へはC編成の4両(+部品取り用4両)が譲渡されました。このC編成は前記の通りA編成の平行カルダン駆動を踏襲。画像では判り辛いですが、車軸同士の間の枕木方向にモーターが吊られ、ここから伝導するシステムとなっています。1台車1モーターという方式における枕木方向のモーター吊架というのは、この6000系電車が国内外においても唯一と言われています。これは私は後で知ったことですが、なんだか大変なモノを見てしまった気がします。
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特に現存するC編成は東洋製の特徴として、独特の甲高いモーター音を発すると聞きます。これについては「ようつべ」でも感じ取ることができますので、興味のある方は検索されるとよいでしょう(私はup主ではないので念のため)。それにしても東洋・・・VVVFでも他メーカと比しても甲高いと感じるのは私だけでしょうか。特に京急ではそれが顕著な気がします。特徴的なのは足回りだけではありません。日本初のステンレス製電車である東急5200系のそれを汲んだ車体は後に登場した7000系よりもコルゲーションの及ぶ面積が拡く、黎明期のステンレスカーを印象付けます。やがてステンレスカーは車体の歪みを減らすコルゲーションを次第に少なくし、現在の第3世代(私はこう呼びます)のようにコルゲーションの全く無い車両を造る技術が確立されていったのです。
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全車が1960年生まれの6000系・・・御齢は今年でなんと50年!半世紀の履歴の持ち主です。戦前製の旧国が昭和50年~60年代まで稼動していたのと何ら遜色がありません。もちろん基本的な部分が大きく異なりますが、戦後に合理性をもって製造された高性能電車としては異例の長命ではないでしょうか。弘南入りしてから20年間生き永らえたのが、その長命を果たした大きな理由なのでしょう・・・。私にはどうすることも出来ませんが、一ファンの勝手な感傷を述べさせてもらえば、生まれ故郷の横浜にそっと還らせてやりたい心境です。それと書き漏らしていましたが、後半の接近画像は係員の方に一声掛けて許可を受けたうえで敷地内で撮影しています。
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誰もが無我夢中で撮影。大きな大きな目的を果たすことが出来ました。次の大鰐行の電車が来るまで駅舎内でしばし暖を・・・。出札窓口には懐かしい空気が漂います。
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・津軽大沢9:44→大鰐9:59
やがて入線してきた大鰐行の7000系・・・今度は側面帯無し編成だ!この美しいビジュアルを・・・ご覧ください。どう見ても東急7000系!先程の6000系の興奮覚めやらぬまま、イケナイ病気が発症寸前です!
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ウワサには聞いていました。弘南の6000系や7000系のアレは東急時代のままであると・・・。果たして客室から表示コマ確認窓を覗けば・・・「田   園   調   布」!!
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今度の編成は先程のより1年新しい1965(昭和40)年製ですが、銘板はオリジナルのものです。
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あ・・・ありのまま いま起こった事を話すぜ!

「石川に着いたら真っ黒なモンスターが居た・・・」

な・・・何を言ってるのか わからねーと思うが
おれも何が起きたのか わからなかった・・・

見間違いとか脳内妄想とか
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ

もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ・・・
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交換待ちの石川発車直後、後部車両の乗務員室手前付近で談笑する我々の視界に飛び込んできたものは・・・「すっつげぇの来た!!」と絶叫するのが早いか否か、メンバー全員が一斉に進行左側の窓に飛びつきました。言わずもがなのキ100形105の排雪列車!全員が初めて見るそのシーンに場は興奮の坩堝と化しました。結果論とは言え、これは「あけぼの」に乗車していたら遭遇できなかった可能性が大(追いかけるカタチになっていた?)ですから、どのメンバーも「あけぼの」の運休を逆手にとって以後の道中が楽しめたことでしょう(勿論私もですが)。そしてキ105の後に続くのは1927(昭2)年米国ウエスティングハウス製の舶来機関車ED221!もう堪りません。この時も車内で話したのですが、既に大沢の基地内にその姿が無かった段階で「気付く」べきだったのですが、どのメンバーも6000系ですっかり浮かれてキ105のことなぞ完全に忘失していたのです(汗
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旅程の都合上、足を運ぶことは出来ませんでしたがココは寄ってみたい!見出しだけで気分を害するような三流タブロイド誌の広告が氾濫する首都圏と異なり、弘南電車の車内には手造り感溢れ、お客とお店の距離が近く感じられる中吊りが拡がり、心和みます。
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やがて大鰐到着。充実の大鰐線の旅が終わりました。画像は到着した電車の入れ替え後ですが、係員の方がポリタンクから床下機器に注いでいます。コレは一体何の液体なのでしょう?
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最後に、大鰐駅に佇む7000系を。かつて桜木町と渋谷の間を往来した電車は、限りなくオリジナルに近い姿のまま今なお厳寒の地に健在でした。どうか、その日が一日も永く続きますように・・・。

以下、2日目弘南線に続く。
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by ar-2 | 2010-02-09 20:37 | 外出・旅行


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