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赤い電車は白い線

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2010年 01月 23日

去り行くプロトタイプ

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本日の退勤後、あるモノの授受を兼ねて・・・何故か焼肉でした。てか久し振りです。その帰途、同行者が「もうすぐ209が来る」というので見物することに。
勝手知ったる横浜駅3・4番ホーム、その大船側には遅い時間ながらもファンが集まっていました。程なく目当ての車両が姿を現しました。

思えば、このクルマを目にしたのも久し振りな気もします。
とは言え、心底の本心で記せば私にとって209系0番台(以下209-0と記します)は、103を追いやった「仇」に過ぎないのです。
ですから同系の全盛期は言わずもがな、その数を減らしてきていよいよ撤退となろう頃合にも私は一切追いかけもしませんでした。

同系は私が学生の頃に901系としてデビュー、「価格半分・寿命半分・ノーメンテナンス」を標榜した「10年電車」として世に送り込まれました。
その外観は205系から一皮剥けたものでして、来る21世紀のスタンダードを予感させるに十分なものでした。
しかし、800両以上在したウラ区の103系が次第に消していくに及び、私にとって209系は前述のような立場に過ぎなくなっていったのです。
103系が1998(平成10)年に撤退、その後を追うように私も生まれ育った本郷台を離れました。それから京浜東北とはすっかり疎遠になりましたが、
いまこうして209-0の引退を迎えるにあたりその歳月の経過を強く感じ、様々な感傷を呼び覚ますのです。

アナログからデジタルへの橋渡し役であった209-0の引退は京浜東北から「肉声放送」「行先字幕」の車両が消えることを意味します。
乗り入れて来る横浜線の205系(1988年12月にデビュー)もその条件をみたしますが、そもそものポリシーが異なりますから同列には比較できません。
私は209-0を好きになることも愛することも出来ませんでしたが、記憶に残る形式となったことは確かなようです。

蛇足ながら・・・かつて「数年もてばよい」として大戦中に製造された「粗製乱造」のロクサン形電車が、そのスペックを因子とする桜木町事故を契機とした
大改造により73系として生まれ変わり、長命な個体では40年以上大きく姿を変えず、また更新されたものでも昭和60年まで旅客車として稼動し、
更には事業用車や部品流用車のそれは平成の御世まで生き永らえた歴史を鑑みるに、「10年電車」であったはずの209-0が
結果17年も京浜東北に在し、一部は手直しのうえ房総半島にその活路を見出す顛末は、まさにロクサン形とイメージがオーバーラップするのです。
もっと言えばロクサン形改め73系の晩年、首都圏を追われた同系は房総半島に流れ着き昭和50年代頭まで活躍していたことからも、
209-0もその後を追っているように思えてなりません。まあ、20M級4扉車が鉄道趣味の原点とする者の盲然とした思い込みなのかも知れませんが…。

私は泣きも笑いもしませんが、209-0の京浜東北からの撤退はいよいよ明日。
京浜工業地帯に通う労働者の心を癒すために選定されたという「青22号」を纏う、私にとって第3世代の車両の時代が間もなく訪れようとしています。

by ar-2 | 2010-01-23 23:47 | 記憶のレール(国鉄~JR)


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