2010年 01月 06日

1500キロの彼方へ~沖縄賛歌(3日目前編・12月の太陽は天高く)

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前回

12月9日(水)、いよいよ2泊3日の沖縄滞在最終日。この日はチョッと早起きして件の那覇バスターミナルまで撮影に出向きました。この時の詳細は前々回及び前回記事にあります。



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その那覇バスターミナルからホテルまでは、1日目にも乗車したゆいレールに再乗車しました。バスターミナル傍の旭橋駅に向かいますが、到着した列車から大勢の旅客が降車する様は首都圏のそれと同じ・・・ただ圧倒的というか規模は全然違いますが・・・マッタリしています。私の乗車した首里行も当然のように混んではいましたが、その多くは県庁前や美栄橋で下車してしまいます。しかし乗り合わせた女子高生集団、上着を羽織らないブラウス姿が眩しい!・・・って、これが12月の沖縄の現実なのです。
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ホテルに程近い3駅目の牧志で下車。ここから国際通りをホテルに向かって歩いて行きますが、一歩裏に目を転ずれば味のある建築も…。
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チェックアウトの目安時間まではまだ間があるので、ホテル向かいにある24時間営業のファストフード店で朝食を摂ります。いわゆる「沖縄そば」は昨日のビーチタワーの朝食でも味わいましたが、麺好きの私としては市井の沖縄そばを食すのもスジ?と思い、画像の「沖縄そば・ミニ牛丼セット¥600」を注文しました。沖縄そばは私のイメージでいうとちぢれた平麺が多いようで、ここもその例に漏れません。

それにしてもボリュームがあります!トロトロで大振りの角煮が二切れもトッピングされ、あっさりしたスープと相俟って食が進みます。そして画像の上に写りこむ「島唐辛子」は液体の唐辛子でありますが、原材料は泡盛と唐辛子のみ。アルコールは抜けていますが、数滴和えるだけで口内に辛さが充満します。そしてその辛さのなかに「まろやかさ」があって、私は大いにハマりました!勿論、お土産に購入したのは言うまでもありません。
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ホテルでのチェックアウトを済ませた後、3日目となるgino-1氏のナビゲートにより最初の目的に向かいます。まずは那覇市内電車が走行していたという「崇元寺通り」に面して存在する、崇元寺の石造りの門を車中から観察。この門の前を市内電車が走行していた記録画像はを、この後に訪れた宜野湾市立博物館で目にする事が出来ました。

クルマは崇元寺前を後に那覇新都心内を経由、R251を経て大平特別支援学校(09年3月までは大平養護学校)の裏手に向かいます。ここには沖縄県営鉄道嘉手納線のレールが保存展示されています。沖縄戦で破壊され、正式な廃止手続きもなされなかった軽便の施設は朝鮮戦争への鉄材供給源とされ、レールや車両の殆ど全てが回収されたといってよく現存例は貴重なものです。ナローらしい、か細いレールの観察を追え、次は宜野湾市立博物館へと向かいます。
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※許可を得て撮影
同博物館には沖縄県営鉄道嘉手納線大山駅跡付近から発掘されたという、完全なカタチで現存する唯一の軽便台車があります。なお、同館内での撮影は窓口で必ず一声掛け、許可を得るようにしてください(明記もしてあります)。
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次に訪れたのはここ、2004年夏に米軍のヘリコプターが墜落した沖縄国際大学です。報道映像を通じて目にした黒焦げの校舎はとうに無く、今は炭化した樹木とモニュメントがそれを伝えています。有名無実の治外法権、日本国政府は無力です。ともすれば、先の「返還に関しての密約」の発覚を鑑みれば、癒着もあって然りでしょう。本当に面の皮なのは沖縄在住の人々のみならず日本国民のそれ全て。過去にも沖縄では米軍戦闘機が小学校を直撃したり、内地でも厚木や町田、それに幼少期の私が「パパ ママ、バイバイ」を見て知った緑区の墜落事故…全て戦後の出来事です。

地位協定、安保、様々な制約があります。そのうえで軍備を有さない日本は米軍の核の傘に護られています。もし米軍が国内から去ったとして、それで本当に平和は訪れるでしょうか。某軍事大国の攻撃を受けたら、日本はどうなるでしょうか。それでもいつまでも沖縄の住民感情がくすぶり続けるのは、このような墜落事故や米兵による暴行事件が後を絶たないのと、そしてあの沖縄戦の記憶そのものが今にあるからに他なりません。他方、その米軍によって雇用等の恩恵を受けている向きもあります。

「平和」とは、何なのでしょう。
日本のような複雑な歴史をはらんだ国ほどそれを得るのは難しい気もします。それでも、こんな事をのうのうと垂れ流していられるぐらいなのですから、これぞ「平和ボケ」というやつではと自問してみたくもなります。語弊を承知で記しますが、「リスクを伴わない平和」を得るのは到底困難なことなのでしょう。それでも我々はこの現状を知りそして認識し、常に危機意識を有すべきであると強く感じました。関心を失ったら最後、です。
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次に向かったのは首里城。よく耳にする沖縄のスポットの一つです。ここ首里城一帯の一部は世界遺産として登録されている反面、戦後になって再建された建築物はその対象ではありません。私も殆どの建築物が戦後築と知り少しガッカリしたのですが、沖縄戦でことごとく破壊されているので無理もないことなのでしょう。

ただ驚いたのは、戦後ここに琉球大学が建設されて永らく健在であったことで、現在のように首里城が整備・公開されるようになったのは平成に入ってからということなのです。つまり戦後に首里城を復元せず、何故いきなり大学なぞを建ててしまったのか?ということです。これについては米軍統治下ですからその意向が故にであると信じたいのですが、何とも意外な歴史に正直唖然としました。
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首里城の正殿も勿論再建ですが、沖縄戦の以前からも度々火災に遭いその都度再建されている・・・ということを知れば、平成の御世の再建もまた然りと私はようやく納得したのです。そしてここ首里城の様式ですが、言うまでも無く日本古来のそれではなく、中国大陸からの影響を受けているように感じられます。しかし、館内の一部解説にはそれを否定するような記述が見られ、いささか違和感を覚えました。例えば政府が要らぬ気遣いをして「肯定」することはままありますが、このように明らかにそうであるのに否定をするというケースは初めて見ました。文化などの伝播経路からしても・・・と私は思うのですが。

首里城一帯には幾つかの門がありますが、いわゆる有料となる区画は広福門から先です。この広福門を入った広場には、2日目でも触れました「御嶽(うたき)」…いわゆる聖地があります。ちょうど私がこの広場に居た折、クツを脱いでひざまずきながら御嶽に祈りを捧げる女性の姿があり、何とも印象的でした。今も沖縄の人々、とりわけ女性の中にはかの琉球王国への信仰心が今も強く生きていることを感じます。

つづく
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by ar-2 | 2010-01-06 11:45 | 外出・旅行 | Comments(0)


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