2009年 12月 24日

1500キロの彼方へ~沖縄賛歌(2日目後編・祈りの大地へ)

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奥武島を離れ再び本土へ。我々は更に南下し、糸満市の摩文仁にある「平和祈念資料館」「平和祈念公園」に向かいます。



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1945年の90日間にも及ぶ沖縄本土での激戦によって、推定20数万という膨大な人命が失われました。
山は吹き飛び、村落は焼き払われ消滅。「戦争は人を狂わせる」とは誰が言ったか、今日想像だに出来ない現実があったのです。

ここ摩文仁にある「平和祈念資料館」と「平和祈念公園」は隣接していまして、セットでの訪問が可能です。
まずは赤い瓦屋根が印象的な「平和祈念資料館」に入ります。ここではその惨禍について種々の資料や証言に基づいた展示がなされ、
正直1・2時間で見学しきることは難しいでしょう。その訴えかけるような数々のビジュアルは、見る者の胸を圧します。

ただ残念だったのは、後から入館してきた修学旅行生の一団。全てがそうだったとは言い切れませんがウォークスルー状態。
中には見たくとも一人だけでは…という集団心理に抗えなかった生徒もいたかも知れません。そう、いつの世も集団心理は何かにつけ勝り、
時にそれは国を「破滅」へと導いていってしまうのです。これは皮肉でも何でもなく、かつての日本がそうだったではありませんか。
尤も、時代が時代だけに主張なぞ叶わなかったのでしょう。何もかもが「狂って」いたわけですから…。
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12月とは思えない明るい陽光の降り注ぐ摩文仁の丘、その突端で燃え続けるのは「平和の火」。
続々と訪れる修学旅行生をバスガイドが誘導し、その「平和の火」について解説しています。スケジュールの一部でしかない見学に、
果たしてどれだけの意義があるかは判りません。しかし、今日という日の訪問で沖縄の過去について興味を持ち、
「平和」と「戦争」について考え、そして主体性をもって行ける若者がもし一人でも居たならば、その意義はあったと言えるのかも知れません。

ある集団は「平和の礎」の碑の前で自前の「捧げる一文」を朗読し、ある集団は丘の向こうに広がる蒼い太平洋を背に記念撮影し…。
どれも、いまの今日という日が「平和」であるからこそ成しえるものであり、その成り立ちにあっては過去の惨禍と犠牲を、絶対に忘れてはなりません。
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「平和祈念資料館」と「平和祈念公園」の訪問を終え、更に西進して「ひめゆりの塔」へと向かいます。
ここも言わずもがな、沖縄戦の凄絶さと悲惨さを物語るランドマークとして余りにも有名です。

現地に着いてまず驚いたのは、その周辺環境です。「塔」の前を走るR331を挟んだ向かいには極彩色の品物を並べた土産物店が軒を連ね、
修学旅行生が群がります。R331のこちら側の並びにも土産物店とレストランが併設されていて、一言でいえば「観光地」の雰囲気です。
沖縄の観光産業への依存度の強いことは認識していましたが、いくらなんでもやりすぎではと正直思いました。

ただ、これには理由があるのではとも考てみました。ここでよぎったのは昨日の備背でタコライスをいただいたお店のオバチャン。
他の客との会話の中で南部方面に話が及び、その時にオバチャンが「あのあたりに行くと、なんだかねぇ…」としんみり語っていたことです。
沖縄に限ったことではありませんが、戦跡はどこも過去の辛い歴史と対峙する場。特にここ「ひめゆりの塔」は南部戦跡の象徴、
しいては沖縄戦を知る人にとっては最もそれを思い出す場所なのではないでしょうか。その辛さ、悲しさを少しでも和らげるため、
あえてこのような土産物店を並べ賑やかにしようという…それが島の人たち「精神」なのかも知れません。

ここには「ひめゆり平和祈念資料館」も併設されていまして、そちらも見学します。ここで私は初めて知ったのですが、
実は沖縄にはここ「ひめゆりの塔」以外にも、従軍した女学生部隊の慰霊碑が幾つかあるということです。これについて
訪沖前に既知している内地の人はどれだけ居るでしょう。恐らく、特段調べてでもない限りはまず知る由も無いはずです。

これについては一部で「偏向」という批判もなきにしもあらずのようですが、例えば東京大空襲と横浜大空襲とでは
犠牲者の数が桁違いということは別として、東京が約2時間、横浜が約1時間と攻撃時間に倍の開きがあるにも関わらず、
投下された焼夷弾のトン数は横浜のほうが多いということは殆どクローズアップされていません(東京は約2000t、横浜は約2570t)。
しかし、これについて「偏向」と宣う向きを少なくとも私は聞いたことは無く、「ひめゆりの塔」についても同様のことが言えます。
肝心なのは「知ろうとすること」と「知るキッカケ」、そして「伝えて行くことの大事さ」です。
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「祈りの旅」はどこまでも。陽も大分傾いてきた「ひめゆりの塔」を後にし、今来た道を奥武島の手前まで戻り、次に向かうは
「おきなわワールド」内にある「玉泉洞」(ぎょくせんどう)という天然鍾乳石の洞窟です。gino-1氏曰く本体である
「おきなわワールド」は大したことはないが…とのことですが、果たして玉泉洞は想像以上の延長距離を有していて、
おそらく一生分の鍾乳石は鑑賞できたのではないかと(笑 玉泉洞から外に出ますと物産コーナーも相変わらず多いですが、
ステージで行われていた踊りがいかにも沖縄を感じさせました。観客も一緒に混じって楽しめるというのはイイですよね。
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クルマは再びターンして、いよいよ糸満市の中心へと向かいます。ここでの目当ては沖縄県営鉄道糸満線(糸満~国場)糸満駅跡に残る
「便所」の見学です。クルマを安全な場所に停めて周辺をしばし徘徊。gino-1氏は記憶を頼りにその場所を探すべく
先行して住宅地の奥へ…すると暫くして「ありました」との連絡が。後を追って行くと地元のお婆さんと氏が談話中。
聞くところによるとこのお婆さん、軽便(県営鉄道)で高嶺駅まで通われていたとかで当時を知る証人、もちろん沖縄戦も知っているわけです。
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画像がその「便所」ですが、往時のままであるのは実は土台だけでして、それより上は戦災で一度失われているそうです。
戦後になって木製?の上屋を新築し、駅跡や周辺に建てられた家屋の住人たちが使う共同便所として機能していたようで、
現在のようなブロック積みとなったのはそれから更に後年のことなのだそうです。ちなみに10年くらい前?までは、
一応便所としての機能は有していたそうです。台座に残る弾痕は、沖縄戦を伝える揺るがぬ証し。
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お婆さんの証言は続きます。画像は国場方向を望んだものですが、この界隈がかつての糸満駅構内であったそうです。
画像の奥方向には駅長の邸宅があった…など、まさに当時を知る人からでないと聞けない、大変貴重なお話を伺えました。
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日も大分暮れてきましたが、時に17:50…日の長さを実感します。続いての軽便の残り香は、高嶺駅跡近くに残る「橋」です。
画像の真ん中に三角形の構造物が「対」に確認できますでしょうか。実はこれ、用水路を跨ぐコンクリート橋なんです。
三角形の部分は擁壁でして、その内側に築堤状に盛り土されていたといわれています。では、何故三角形なのでしょうか。
gino-1氏所有の「おきなわの軽便鉄道マップ」(ボーダーインク発行)からその記述の一部を引用させていただきますと

~擁壁の形が三角形であるのは、擁壁が倒れないこと、横に滑らないこと、下に沈まないことなどを工学的に検討し、
外力(盛土の圧力)に耐える最も合理的な形状として設計されたのではないでしょうか~

とあります。私はこのような鉄道橋の例は他に知らず、見れば見るほど何とも奇妙キテレツな橋です。軽便の遺構というだけでも貴重ですが、
鉄道構造物の一例としても貴重な存在なのではないでしょうか。
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日もとっぷり暮れた糸満市内。ここで我々奥武島の天ぷら以来の食事を摂ることに。お店はgino-1氏オススメの「A&W」です。
沖縄以外ではアメリカやカナダに展開しているファストフードチェーンです。内地にも過去には展開していたようですが、
現在は「基地」などにあるのみですから、実質日本では沖縄のみでしか展開していないのです。

アイテムはというと見た目がやや大柄なのも特徴でして、オレンジジュースが「ジョッキ」で出てくるのにはビビリます(笑
バーガーの味付けはというと大味というか、どちらかというとアッサリ系。油モノ好き民族の口には合わなかったのかも知れませんが、
沖縄県内では那覇空港内や離島にも展開しており、マックよりも多い店舗数を誇ります。これも沖縄ならではの「味」です。
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そして…戻ってきました那覇市内。今夜の宿は国際通りの近くでして、荷物を預けた後に散策です。
それにしても土産物店、多いですね~。そんなに土産買わないでしょってぐらい(笑 そんなこんなでオリオンビールを煽りつつこの場所へ…。
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あの「那覇バスターミナル」です。と同時に、ここは沖縄県営鉄道那覇駅の跡地でもあるのです。
バス車両についてはこれまで紹介を控えていましたが、次回はいよいよ「特別編・南の島を駆けるバスたち」です。
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by ar-2 | 2009-12-24 23:59 | 外出・旅行 | Comments(2)
Commented by gino-1 at 2009-12-26 00:01 x
こんばんは。
大変遅くなりましたが、沖縄旅行お疲れさまでした。
南部はじめ戦跡は、ご案内しようか迷ったエリアだったのですが、記事を拝見してご案内した甲斐があったと感じ嬉しく思います。

我々は、戦後に生まれましたが、知る努力を欠かさないようにしたいと思います。
Commented by ar-2 at 2009-12-26 11:51
gino-1さん、こんにちは。
過日は3日間に亘り延々とハンドルを握っていただきまして、あらためて有難うございました。
沖縄がその「過去」とどう向き合ってきたか、そして我々もまたどう向き合っていくか・・・
3日間の行程で色々考えさせられました。
他にも記したいことは多々ありますので、後に記事化していきたいと思っています。


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