2009年 12月 22日

1500キロの彼方へ~沖縄賛歌(2日目前編・南部へ)

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前回

明けて12月8日火曜日。
ビーチタワー14階のルームバルコニーに出れば、朝日に浮かび上がる普天間の街並み、サンセットビーチと続く東シナ海・・・。2日目は、沖縄戦で最も激しい戦闘が交わされ、今も名の知れた史跡の多くを残す南部地域へ向かいます。



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ビーチタワーでの朝食はバイキングシステム。清潔なホールに潤沢なスタッフ…。供食の場としては理想的なシチュエーションです。ホールの外には画像のようなテラス席も併設されています。流石に12月ということもあって密閉されてはいますが、夏季にこんなところで時間を気にせず過ごしてみたいですね。ビーチタワーはその評判に違わず、素敵なホテルでした。
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本日もgino-1氏にエスコートいただきます。ホテルを発って少し南下したところにあるのが画像の「軽便橋」です。この「軽便」(ケービン、ケイビンと沖縄では発音します)というのは言わずもがなの沖縄県営鉄道のことを指し、この橋はかつての同嘉手納線(古波蔵(こはぐら)~嘉手納)の線路跡に架けられているものなのです。現在の橋自体は1988年の架橋ですが、正式な廃止手続きもなされず戦火に破壊され、まさに「消失」した県営鉄道の痕をトレースした、数少ない物件と言えましょう。
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2009年の軽便橋を、嘉手納方から望みます。画像左側の橋下に、苔むした何か土台のようなものが見えます。これは現橋以前に架かっていたであろう旧橋の橋脚の残骸と推測されますが、それが県営鉄道時代からのものであったかどうかは不明です。
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軽便橋の観察を終えて今度は与那原(よなばる)へと向かいます。R330~R81を経て沖縄道の北中城ICへ。至るところにということはないのですが、画像のような看板を目にして沖縄の揺れる現状の確かなことを感じます。

日米安全保障条約という名の「核の傘」のある以上、米軍の駐留は逃れられません。しかし、常に危険と隣接する県民感情にはそんなことは関係無いのでしょう。それと、その駐留が沖縄に偏っているということへの我々内地の人間の関心は極めて薄く思います。安保の「リスク」はもっと均等されるべきであるという議論は尤もですが、果たして「貴方の街に米軍が来ますよ」って、諸手を挙げて歓迎する地域があるでしょうか。もっとこの問題は、政府と沖縄のみならず他地域をも巻き込んで真剣に取り組まれるべきです。かつて議事堂の前を埋め尽くした群集、失われた命。その意味を知ってからではもう遅い。この問題に直面していくのは他ならぬ今を生きている私達、決して他人事ではないのです。
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時にもう10時近く、太陽もおよそ12月とは思えないくらいにまで上り、体感気温も上がって行くのを感じます。ここ与那原での目的は、これもまた沖縄県営鉄道の名残りである与那原線(那覇~与那原)の与那原駅舎跡です。画像はJAの与那原支所の裏側を撮影したものですが、実はコレ、その与那原駅舎を今も用いているのです。
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同所の外壁に掲示してある解説板です。戦火に呑まれ破壊されたものの、骨組みだけ残ったコンクリート造りの駅舎は戦後修復され、後に2階部の建て増しを経て現在に至るのです。よく観れば1階と2階とで柱の本数が異なっているのが確認できましょう。解説板の写真は建物の表側から撮影されたようですが、その面影が何となく感じられました。
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JA与那原支所を後に、次は東陽バス馬天営業所に向かいます。ここではあの「730車」である906号車の撮影が目的です。ここでの詳細は後に纏める「特別編」にて紹介したいと思います。建物への直書き屋号はもうすうかりお約束ですね。
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これはずばり、東陽バスのエンブレムです。そのデザインに「羽」をあしらったものとしては、南海電鉄の旧社紋(羽+歯車)や東急電鉄の旧社紋(羽+線路)が有名どころですが、「羽+タイヤ」というのも何と言うか他に例が思い浮かばず、ユニークですね。で、これは天使の羽と解釈し(以下自主規制
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馬天営業所を後にし、県道137~86号を経て南部の深く入り込んでいきます。窓外に目にする風力発電の「大きな風車」が目に付くのは、本島においても南部のほうが風が強く設置に向いている故…というgino-1氏の弁に納得しつつ、クルマはトンネルを抜け…そこには蒼い太平洋!トンネルに繋がるのは九十九折状の高架橋「ニライカナイ橋」。この感動的なシチュエーションを暫し堪能し、本島南部沿岸のR331に出ます。
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この後は糸満へ向かう予定であったものの、まだ時間に余裕があるとのことなので「斎場御嶽」(せーふぁ うたき)という処に寄ります。実はこの「斎場御嶽」という看板をクルマの中から目にしていて、これは非礼を承知で記しますが私は単なる「焼き場」と思ったのです。何が何だかよく判らないまま現地着…そしてここは焼き場なぞではない、とんでもない処だったのです。
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この斎場御嶽には幾つかの「拝所」があり、その末端にある「三庫理」(サングーイ)と言う拝所からは太平洋に浮かぶ久高島を望めます。その久高島こそ、かの琉球王国を開闢(かいびゃく)した「あまみきよ」が上陸したという、言わば琉球王国の発祥地であるのです。

「御嶽」(うたき)とは奄美諸島から南西諸島に分布しているという「聖地」の総称を言い、「斎場」(せいふぁ)とは「霊威の高い聖なる場所」を意味します。なんだか二重修飾にも思えますが、それほどこの場所が琉球王朝にとって、宗教的に大きな意味合いを持っていたと解釈できます。琉球王朝の支配者である国王(男性)を守護するのが「聞得大君」(きこえおおきみ・女性)であり、その聞得大君の即位式である「御新下り」(おあらたくだり)のなされた地こそ、他ならぬ斎場御嶽。ここはいわば琉球王国最高の聖地なのです。
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前記した「三庫理」(サングーイ)と言う拝所は、大きな天然の鍾乳石の板による三角形の空間を経て辿り着きます(画像ではありません)。国王を守護する宗教的最高権威者である聞得大君は女性ですから、たとえ国王とてここ斎場御嶽に踏み入れることは許されなったのです。そう、ここは男性禁制の神聖にして絶対清浄の場所。その戒律が戦後まで続いていたと聞き、私は想像を絶したのです。

これまで私が抱いていた沖縄のイメージには決して無かった、「神の島」の印象がふつふつと沸き上がります。神は人が造ったのか、神が人を造ったのかは判りません。もしかしたら「地球」が両方とも造ったのかもしれません。この手の探求は解釈も色々あるでしょうが、私にとってここ斎場御嶽は今回の訪沖の中でも、特に大きなインパクトを感じました。
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斎場御嶽を後にし、オススメの天ぷらがあるとのことで奥武島(おうじま)に向かいます。島と言っても本島と100mばかりしか離れておらず、島自体もクルマで5分とかからず1周できるくらいです。それでも人口が1000人を数え、マンションも存在する立派な島なのです。ちなみに沖縄に「奥武島」は4ヶ所もあるのだとか。地名についても同じようなもので、交差点名の看板には特定する括弧書きも見られます。
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島に入ってすぐにあるのがこのお店。結構有名らしくお客さんがひっきりなしに来ます。店内で食事できる場所は無いようなのでテイクアウト。時間からして昼食時なんですが、天ぷらのテイクアウトっておやつみたいです(笑
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品書きはと見れば何と¥60!調べてみたら以前は¥55だったらしいですが、比較の次元が違いますね。アイテムに迷うところですが、いか、さかな、もずく、海ぶどうを3名で各1個ずつチョイス。いか、さかな(白身)は身も大きく歯応えがあり、画像のもずくはこちらでは「酢の物」のイメージがありますが、もちろん本来の味が出ています。海ぶどうは海藻の一種であり、内地では見られないものですがプチプチとした食感が特徴。個人的にはタレ付けの生が好きですね。沖縄の天ぷらは一般的にベーキングパウダーを用いてるとのことでして、内地のようなサクサク感ではなくモチモチ感があり、独特です。

値段に見合わぬ?食べ応え、おかずだけでお腹イッパイになった我々は更に南下します。
次に目指すのは「平和祈念資料館」と「平和祈念公園」です。

つづく
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by ar-2 | 2009-12-22 18:38 | 外出・旅行 | Comments(0)


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