2009年 10月 21日

仙台往還(前編)~巨星、墜つ…103を永遠に忘れない(2009・10・20旅行記)

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※本編upにつき予告編は削除しました。

本日2009年10月21日を以て、東日本管内における103系電車の46年に及ぶ営業運転に終止符が打たれました。その掉尾を飾ったのは103系の活躍路線の北限である仙石線所属のRT-235編成。同編成は一旦運用を離脱するも、同線多賀城付近の高架化工事に伴う折返し運用の変更による走行キロ変移、それに関わる予備車確保を目的として奇跡のカムバックを果たした存在として余りにも有名です。そのあたりの詳細は他所を参照いただくとして、そのRT-235編成も寄る年波には敵わず、首都圏のE233系投入により間接的に捻出された205系をその後任とし、遂に引退することとなりました。

その有終に際してはヘッドマークの取り付け(10/17~21)や、通常は平日朝ラッシュ時のみ運用であった同編成にとっては久し振りの石巻往復運用への充当(10/17・18)といった心尽くしの演出がなされました。私は最後の押しかけ騒ぎが決して好きとは言えないものの、103系は根岸線の本郷台「駅前」に生まれ育った私にとって、それは鉄道趣味の礎であり躯の一部であり、そして故郷の電車そのものなのです。
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ウラ区から空色の103が撤退して早11年…東日本管内からの103系完全撤退まで随分時間がかかったなと思う反面、私自身もまた齢を重ねたのだなと実感します。お互い齢をとったけれど、その艶姿をしかと見届けるのも悪くはないし、いやむしろあらん限りの感謝の念を抱いて見送る事こそ、103系に親しんだ者の礼節であると私は考えたのです。

しかしながらその引退発表は突然で、私自身も人並みには忙しい身分であり大いに面食らったのですが、辛くも1日だけ公休日と合致することが判明し、多少無茶かなとは思いつつも夜行高速バス利用による「夜行日帰りプラン」を策定しました。その後、出発日(19日)の夜に職場の異動絡みの歓送迎会が急遽舞い込むなどまさに「強行軍」の様相を呈し、アルコール摂取を最低限度に抑え、着の身着のまま新宿駅新南口へと向かったのです。



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乗車する高速バスは「ドリーム政宗号」仙台駅東口行、新宿駅新南口にあるJRハイウェイバスターミナル23:59発です。そのターミナル前は…相変わらずカオスですね。うら若き女性、それも旅立ちの前でしょうか。モクをふかしたり酒を嗜んだり…。それが全てではありませんが、なんというかこの場所のオーラにはいつ来ても独特です。
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「ドリーム政宗号」は3列シートですが、先の名古屋→富山で乗車した車両と比べるとグレードが低く、シートサイズも一回り小さい上にシートピッチも狭く、一概に夜行高速バスといってもその格差に今更ながら驚かされます。その上今回は車内の冷房が効きすぎ、果てに後ろの席の菅◎文太似のオッサンの投げ出した足がクサく悪臭を放ち、一晩中まともに眠ることができませんでした(涙 おかげで5:30過ぎに仙台駅東口到着時には意識が朦朧…昨晩にバスターミナル横のNEWDAYSで購入したウメッシュを一呑みし鋭気を養いました。
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そうか、ここはSuicaエリアか…。郷に入りては、ということで仙石線道中はSuicaでの移動としました。
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改札に入り、早速在来線ホームへ。これはウワサの新形電車ですね…初見です。にしても腰が凄く低いです!絶対有井には向かない造形だな~と感心しつつ車内を覗けば、なんとセミクロじゃないですか。これってデビュー当初ボロクソに叩かれた701系のアコモデーションが、やはり間違っていたことの証左と解釈して良いのでしょうか…しかし驚きました。払暁からの鮮烈?な車両との遭遇にフニャッとしていた脳ミソは急回転を始めました。鉄ヲタ(というか私)ってホント現金です(笑
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こういうのを見ると、ホント新幹線って偉大だと思います。もはや仙台は通勤圏!ですね。
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そして仙石線地下ホームからは2WAYシート車で苦竹へ。もちろん同車は初乗車ですが面白いアコモですね。ロングシートの袖仕切りが残存していますが、これってロングに変換できるのでしょうか?私が乗車した折は山側がロングで海側がクロスになっていましたが…。ただ、ヒーターの設置向きを見るとロングには変換不能にも思えますが、果たして。
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小鶴新田まで行っても始発103へのスイッチは可能ですが、余裕があったほうが…という判断で苦竹で下車しました。一応駅舎外に出たので記念(証拠とも言うw)のカットを一枚…。そしてアッという間に入場し上りホームへ向かいます。やがて6:27…。
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「久し振り・・・103」
無数に目にしてきたこのシルエットは本当にに違和感がありません。思えばこの瞬間から、私の様子は少しおかしくなっていたのでしょう…。

苦竹からはモハ102-499に乗車。早朝ということもあってか車内は比較的空いており、私は車端部で久し振りの103の乗り心地を楽しみます。高架駅の苦竹から見る景色は何となく根岸線の新杉田あたりを想起させ、地下区間の仙台トンネルに突入すれば、それはトンネルの多かった根岸線沿線のロケーションとオーバーラップします。特に「日野第二トンネル」は1キロ超の延長を誇り、いつ通ってもあのトンネルだけは長く感じたものです。そんな感傷をよそに、RT-235編成はひたすら走り続けます。MT55系の音色も、制動緩解音も、起動時のガゴガゴッという引張られる衝動音も、電カムの弾けるような音も、全てが昔のまま…。
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「懐かしい音・・・だ。」
それらのサウンドは地下区間の疾走音とミキシングされ、尋常ならざる勢いで海馬を刺激します。
・・・両親のこと兄弟のこと友人のこと、そして半生のこと・・・。青春の記憶や何もかもが物凄い勢いで駆け巡り、私の躯の奥底に眠っていたであろう魂から沸き上がる大粒の雫を、人目もはばからずに堪えるのに私は必死でした。その大粒の雫は榴ヶ岡到着時に遂に堪えきる事が出来ず、ほんの一滴ではありますが落涙してしまったのです。

どうか笑って欲しい・・・ウラ区の103が引退した時分でさえ一滴の雫を落とさなかった私が・・・です。涙もろくなったのは齢のせいなのでしょうか。それとも、全ての記憶を瞬時に再生させてしまった負荷に耐え切れなくなったが故か・・・。しかし、いつまでも燃えるような感情に溺れているわけにはいきません。残り少ない103との時間を、大いに楽しもうではありませんか。そしてその艶姿を悔いのないように記録し、見届けるために来仙したのですから・・・!

あおば通に到着し、私はまたいつものように記録に勤しみ始めました。
悪く言えばそれは感情を押し殺して・・・。103との最後の一日はこうして幕を開けたのです。

以下、中編に続きます。
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by ar-2 | 2009-10-21 23:59 | 外出・旅行 | Comments(2)
Commented by La mer at 2009-10-22 16:46 x
苦竹の駅は、おっしゃるとおり、新杉田に似てますね。カーブを逆にしたみたいです。
トンネルの走行で、懐かしい昔を思い出す・・・小生も山手-根岸間のトンネルを驀進してた103系を思い出しました。懐かしいです。
Commented by ar-2 at 2009-10-22 22:03
La mer さん、こんばんは。
>山手-根岸間のトンネル
山手トンネルでしょうか。あのトンネルも長かったですね。コンビナートの根岸を後に、
文字通り山の中の山手へと至り、更に都会の石川町へと至る・・・あのロケーションの変化がいつ通っても新鮮でしたね。


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