赤い電車は白い線

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2009年 04月 22日

夢の街、夢の国、夢の跡 ~ドリームランドモノレール廃線跡を行く~(その3)

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その2に引き続き、ドリームランドモノレールの廃線跡を辿り、大船を目指します。繰り返しになりますが、旧景画像はgino-1氏から全面的にご提供いただいたものです。また、コメントいただいたshin_88888888氏からも貴重な蒐集画像の転載についても了解いただけましたので、こちらも随時併せて記事中に紹介していきたいと思います。




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・K地点(2009年)、手前が大船方
原宿4丁目です。ここは現景のみですが、なんとなく軌条跡の香りがするでしょうか。クルマが駐車している砂利敷の部分が縦方向に軌条跡となっています。
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・同じくK地点(2009年)、奥が大船方
反対側を向けば…こちらはさらに軌条の跡が瞭然でしょうか。居並ぶ戸建ての間に道路ではない不自然極まりない縦長のスペース!ただ、ここに新たに家屋が建つことはなさそうです。
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・L地点(2009年)、手前が大船方
あの渋滞の名所である国道1号線の原宿交差点を南下した、影取地域にある立体交差部。軌条の面影は微塵もありませんが、かつては画像縦方向に軌条が伸びていました。右上の「長島…」にご注目下さい。
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・L地点(2003年)、手前が大船方
これは国道を渡った側からのアングルですが、同じ「長島…」を認められましょう。確かにここには軌条があったのです。
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もういっちょ。同じ場所から右に振ったアングルですが、軌条は鋼製桁で国道をワンスパンで一跨ぎにしていました。モノレール開業当時から国道は片側2車線であったようです。
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shin_88888888氏からご提供いただきました。モノレール建設時の国道1号線への「橋渡し」だそうです。データによれば1966(昭和41)年1月25日の22時から翌3時にかけて施工されたようですが、堂々の国道封鎖だったんですね。まあ交通量も今とは違うでしょうし、深夜帯なので問題にはならなかったのでしょう。記録の少ない モノレール誕生の過程です。
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これもL地点(2009年)ですが、国道の東側(つまり大船側)から大船方を望んだ画像です。ここにはまだ軌条のあった名残が感じられます。右の建物はかつてはファッションホテルでしたが、現在は建材屋さんになっています。
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・M地点(2009年)、手前が大船方
国道1号線を跨いだ軌条は下り坂のコースを取ります。左側に並ぶ家屋群と道路の間の妙なスペースが怪しいですが…。
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・M地点(2003年)
やっぱりそうでした。しかし、資料や記憶の無い限りはここに軌条があったなんて、絶対判らないですよ。ホント。
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・Ma地点(2009年)、奥が大船方
M地点から反対側の大船方を望みます。グランドの奥には県営原宿団地の給水塔が目立ちます。軌条は画像中央付近にある青い家屋の左側を抜けていたそうです。
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・Ma地点(2003年)
給水塔と軌条のマッチングが、もう何とも言えません。ここから軌条は上り坂になります。
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・N地点(2009年)、手前が大船方
軌条の跡を追って、我々も丘へと上がります。先ほどの給水塔が相変わらずの佇まいを見せていますが…。
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・N地点(2003年)
「ジェットコースター・ライン」。人々はそう呼びました。最大勾配100‰という、起伏の激しい地勢であるとはいえその無理矢理感のあるコース取りが車両の性能諸元に影響を及ぼし、結果的にはモノレールの消滅自体を導いた引き金であるとも言われています。これについては改めて記したいと思います。
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・O地点(2009年)、左が大船方
小雀信号所跡です。モノレール大船線は単線でしたので、ここに行き違い設備である小雀信号所を設けていました。正しい場所は画像の左奥になるようですが…探訪時にここに立ったときは正確な位置が全く特定できませんでした。
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O地点からさらに大船方に進んだあたり、どうやら画像の左側、若い樹木が植えられているあたりに信号所があったものと推察できます。方向的に言うと手前が大船方で、信号所は奥に向かって右にカーブしていました。
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・O地点(2003年)、奥が大船方と思われます
この信号所のポイントというか、構造については幾つかのサイトで詳述されています。「小雀信号所」でググられると参考になるかと思います。
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この小雀信号所の特徴としては、将来の中間「駅」化を目論んだと思しき構造となっていることで、車両の乗降面よりは低いものの上下線間にはホームがあり、また階段を設けられるような穴があらかじめ準備されていたのです。のちのHSST(磁気浮上式鉄道)化計画においては全線で5つの駅を設けるとのことでしたので、小雀信号所もその1つであったろうと思われます。
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モノレールが休止されて以降、年月の経過とともに軌条の老朽化も進行し、その軌条に取り付けられている架線が落下するという事態に至りました。そこでその架線を全面的に取り外すことになり、そのために造られた作業車が画像のクルマです。向かい合わせにしたフォークリフトをベースにして造られたというこの作業車、ちょうど架線の高さに足場がありますね。まさに実用本位といったところですが、老朽化した軌条上での作業はそれなりに危険を伴ったのではないでしょうか。

ようやく全路線の中盤まで参りました。
ここからは山越えがメインの区間となりますので、その跡を辿るのは困難を極めます。果たしてその顛末は…。→その4
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by ar-2 | 2009-04-22 21:37 | 鉄道廃線(廃駅)跡 | Comments(2)
Commented by gino-1 at 2009-04-23 17:11 x
こんにちは。

国道1号線を跨ぐ部分は、軌道撤去時も交通規制を行い深夜に施工されていました。
軌道撤去時はMa地点のような広い場所に、撤去基地か設けられていました。
基地には撤去した軌道が保管されており、撤去の進展と共に基地も移動してゆきました。

地上に下ろされ、集められた軌道を見た時は、少し淋しさを感じました。
Commented by ar-2 at 2009-04-23 19:50
gino-1さん、こんばんは。
生まれてくる時も、潰える時も、同じだったんですね。
真っ先に思い浮かぶのは「輪廻」。多くの人に見守られながら生まれ没して行くのは人間もまた然りでしょうか。

Ma地点の鉄板敷は…そのような事情があったのですね。
以前の地図では元からグランドだったようなので、旧画像を見て不思議に思っていました。


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