2009年 04月 19日
※予告編は公開終了しました かねてより予告しておりましたドリームランドモノレール廃線跡の探訪記について、ようやく纏める機会が得られました。このドリームランドモノレールは、正式名称ドリーム交通・モノレール大船線として開業しながらも、軌条とその支柱が車両の重量に耐えられないという構造物の致命的瑕疵が明るみになり、当時の陸運局からの運行休止勧告を受けて永い永い眠りについたのです。 実際に運行されていた期間よりも運行休止期間が遥かに永く、休止とはいえ事実上廃止同然の様相を呈していた軌条や付帯構造物は多くの人の目に留まるところとなり、様々なメディアを介して広く知られることとなったのです。それ故、軌条残存時のレポート等は他のwebでも多々目にするのですが、軌条撤去後について多くは触れられていないように思います。私自身もかつての地元に近接していたこの軌条を見に行ったことがあり、また大船界隈をもホームグラウンドとしていただけあり、その記憶は今もありありと残っています。それだけに記録がおろそかになった感は否めず、当時の残存軌条の記録は殆どありません。 しかし中にはやはりというか記録されている方がおりまして、私が鉄道模型の集まりを端緒として日頃お付き合いさせていただいているgino-1氏が、その軌条撤去開始直後に撮影された貴重な画像を寄せていただいたのです。そのキッカケとなったのが表題の廃線跡探訪でして、モノレールが在したエリアの出身であり、またそのあたりの事情にも明るい氏のナビゲートを頼りに全線を走破してきました。 まずは、大まかにですがドリームランドモノレールと付帯事項の沿革を記します。 ・1964(昭39)年3月 日本ドリーム観光の手によりドリーム交通設立 ・1964(昭39)年8月 横浜ドリームランド開園 ・1966(昭41)年5月 ドリーム交通 モノレール大船線(大船~ドリームランド)開業 ・1967(昭42)年9月 同路線、営業休止 ・1982(昭57)年3月 ドリーム交通解散、ドリーム開発へ地方鉄道事業権譲渡 ・1992(平4)年2月 モノレールの大船駅解体 ・1995(平7)年6月 大船・ドリームランド線運行再開を決定、1999年開業予定とする ・1995(平7)年12月 モノレールからHSST方式へ事業免許変更 ・2001(平13)年9月 小型モノレールでの事業性検討 ・2002(平14)年2月 横浜ドリームランド閉園 ・2002(平14)年8月 運行再開計画の事業中止を発表 ・2003(平15)年9月 事業免許廃止、前後して軌条の撤去開始 ・2005(平17)年上半期 殆どの軌条、施設の撤去が完了 ・2005(平17)年11月 ドリーム開発解散 ※出典:ウィキペディアほか それでは、ドリームランドから大船を目指して歩を進めましょう。なお、以下の画像における旧景(2003年撮影)は特記なきものは全てgino-1氏からご提供いただいたものでして、弊ブログへの掲載も了解いただいております。改めて御礼申し上げます。 探訪当日は絶好の好天に恵まれました。 氏との待ち合わせはドリームランド。いや、正しくは今は俣野公園もしくは横浜薬科大学なんですけどねぇやはりドリームのほうが「通り」が良いです。そのドリームまではバス利用のつもりでいたものの、はやる気持ちを抑えられず早出(笑 してしまい、結局徒歩でドリームまで辿り着いてしまいました…。30分かかっていません。近隣からエンパイアが望めるくらいですからね。 待ち合わせ時間までは少し間があるので、かつての記憶を呼びさましながら周辺を観察します。現在は横浜薬大の図書館棟?などになっている往年の「ホテル エンパイア」。その最上階は一周/一時間する回転レストランだったとか…。その構造の名残が、今も感じられるでしょうか。当時としてはまったくもって進取的だったことでしょう。 ・A地点(2009年)、手前が終端側 氏と合流し、早速探訪開始です!まずは現在はバスターミナルとなっているあたり、ここにはかつてモノレール車庫が存在し検修庫も有していたのだとか。 ・A地点(2003年) ほぼ同一地点での旧景です。左のフェンスの外側が、現景で左に映る道路に相当するものと思われます。その曲がり具合がピッタリでして、かつての車庫へと至る軌条もここでカーブしていたそうです。 ・B地点(2009年)、左が終端側 かつてのモノレールのドリームランド駅跡は、横浜薬大のスクールバス駐車場になっています。駅の構造物が残存していた頃は、その駅前敷地がドリーム観光の観光バス等の駐車場としても用いられていたそうです。 ・B地点(2003年) 駅構造物撤去完了直後の旧景です。バックのドリームハイツだけは不変ですね。 ・C地点(2009年)、奥が大船方 フェンスの手前は現在はタクシーの転回場になっています。かつてはここは奥へと抜ける通り道だったそうです。この通路?の直上を軌条が横切るようにオーバーパスしていました。 ・C地点(2003年)、左が大船方 その旧景。現景とは軌条を挟んだ反対側からの撮影です。白い柵の歩道にその名残があります。 「俣野の丘」の頂に在ったドリームランドへのメインアプローチであるランド坂を下ります。現在は横浜薬大への通路となっている、かつてのドリームランド駐車場への専用道路跡には…消えかけながらもその文字が今も残ります。 ・D地点(2009年)、右が大船方 坂を下りた交差点には今もなお「ドリームランド前」の称が付されています(冒頭画像参照)。そしてその少し先、県道の真ん中にある中央分離帯?もどきの島状のモノは… ・D地点(2003年)、手前が大船方 かつての軌条の支柱がそこに建植されていました。いまや跡形も無く、キレイサッパリ…傍らの飲食店舗は今も健在です。支柱に軌条がオフセットで載っていますが、これは複線分の支柱なのだそうです。 ドリーム交通ではモノレール大船線の他にもドリームランドから六会、長後へと至る路線の開設も目論んでいたようで、それについては当時のパンフレットなどにも図示されていました。その計画線のための複線分支柱ではありますが、一部ではこのように軌条もセットされていました。私がコレを初めて目にした折には随分不思議に感じたものです。複線分支柱はこの先の宇田川沿いまで存在していました。 ・E地点(2009年) 県道を跨いだ軌条は右カーブのコースをとります。その途上で宇田川をオーバーパスしていました。 ・E地点(2003年)、奥が大船方 その部分は鉄製の軌条桁であるいわゆる「鉄橋」だったのですが、氏によればこの鉄橋の銘板の製造年が1978(昭53)年だったそうで、つまり運行休止後に架け替えられていたということになります。勿論運行休止後にモノレールは走行していませんから、この鉄橋を走行したのは後に出てくる保線用車両だけということになりますが…実にミステリーです。 とりあえず今日はここまでです。→その2
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| 2009-04-19 21:37
| 鉄道廃線(廃駅)跡
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