2009年 03月 01日
本記事はタイトルにもあるように、「スルッとKANSAI漫遊紀行~」の道中に立ち寄った京津線の廃線跡訪問レポートなのですが、 内容的に専門性が濃いため、廃線跡カテゴリとしました。尚、本記事中に出てくる書籍を撮影した画像ですが、 これは「鉄道ダイヤ情報 1992年6月号 特集:三都ローカル私鉄物語①」を帰宅後に撮影したものです。 美富士食堂での食事を終え、今後の予定について私は思案していました。膳所本町から乗車した坂本行は600系の初期型…。 連結妻に昔の面影を残す同車を目にし、「そうだ、(京津線)の廃線跡に行こう」。友人が同意したかどうかは別?として衆議一決です。 1997(平成9)年10月11日、京阪電鉄京津線の三条~山科間の在来区間は、地下鉄東西線開業による線路付け替えにより廃線となりました。 私のなかのかつての京津線というと、家族で滋賀に旅行をした折に浜大津で目にした260?形とピカピカの600形。 中学の修学旅行で泊まった三条通の「いろは旅館」から行き交う電車を目にしたこと…くらいでしょうか。 あの66.7‰区間を含む廃線当時、私は信越本線の横軽間の記録に傾倒し、京津線なぞ完全に頭の中から離れていました。 高床式の電車が併用軌道を走り、急勾配に挑むというインターバン(都市間高速電車)の魅力に気付かされたのは、 実は当該区間が廃線となってからずうっと後のことです。遅きに失したのではなく、姿なきものへの憧れとでも申しましょうか…。 さて、京阪山科を下りた我々はバスである程度のところまで向かおうかとも考えましたが、時間が合いません。 ですので…当然のように初っ端から徒歩でのアプローチとなりました。まずは旧三条通を歩きます。ここは廃線跡ではありません。 やがて、現三条通に合流。JR東海道線をアンダーパスすると、前方に遊歩道のゲートのようなものが…。 バックを振り返ればセブンイレ◎ン。そしてその後ろには地下区間へと潜る京津線の架線柱が見えます。 どうやらここが廃線跡のようです。ちなみに今回は地図等は不携行、当時の路線の様子等も誌面を通じてでしか知りません。 ですので当時とは異なる事を記してしまうかも知れません。ご承知おき下さい(訂正、助言など頂ければ幸いです)。 その遊歩道は「陵ヶ丘みどりの道」というネームのようです。歩を進めて間もなく…ありました!橋台です。 これは鉄道関連の遺構に間違いないでしょう。一応、他の場所でも同じようなモノを見てきていますので。 思わぬ遺構の発見に気をよくし、足取りも軽く三条方向へ向かいます。 橋台痕から山科方を望めば、位置関係的に間違いはないようです。 遊歩道の途上、三条方を望みます。 複線分の幅ってこんなものかな…と思いながら進むと、前方を横切る道が。かつては踏切だったのでしょうか。 その道と廃線跡の直交する部分の傍らにお堂があります。その造りからして近年のものとは考えにくいのですが、 ひょっとしてこれは、かつて存在したであろう踏切での事故か何かを供養するために建てられたものではないでしょうか?奥が山科方です。 廃線跡はほどなくして三条通ぶつかります。画像は奥が山科方。 右手にある上屋は、かつてこの位置に御陵駅が存在したことを記念して建てられたモニュメントでして、当時の遺構ではないようです。 御陵から併用軌道となり、日ノ岡に至ります。電停があったのはこのあたりでしょうか。奥が三条方。 ちょうど京阪バスの教習車が、坂を駆け上がって行きました。 建物の姿が途切れ、いよいよ山越えの様相を呈します。奥が三条方。 山越え区間では線路は片側に寄った専用軌道だった筈ですが、果たしてどちら側なのか…。 当時を知らない身としては、道路拡幅後の今から線路跡をイメージすることは全くできませんでした。 ところが、帰宅して目にした前述の「ダイヤ情報」には… ここではないでしょうか? 現画像左端に写りこむ石垣と、80型の横にある石垣とが同一であるように思えますが…。 道はどんどん高度を上げていきます。奥が山科方です。 奥が三条方です。 急勾配、そしてS字…ここを本当に鉄道が?信じられないです。当時を知る人からすれば笑われてしまいそうですが(笑 傍らには京津線付け替えによる道路拡幅と歩道整備を記念したモニュメントがありましたが、意味がよく判らなかったので割愛します。 さらに上って振り返って山科方を望めば、凄まじい線形です。 そして「ダイヤ情報」には… 80型の最後部そばの木造切妻家屋、現画像のカーブの奥に写る木造家屋と同一ではないでしょうか? 三条方へさらに進みます。やがて九条山、奥が山科方です。 ここ九条山は、営業を終了して役目を終えた260、350、80型といった車両たちが身を寄せ合うように集まり、 やがて重機により鉄屑と化し散っていった場所…決して忘れることのできない地名です。 そして私は何かに「憑かれた」ように、頭上にある三条通を跨ぐ橋に駆け上がりました。 ピン・ポイント。 12年でかくも変わることの現実と、そしてかつての線路をイメージすることの困難さを強く思い知ります。 そして三条方、見事なS字。 鉄路は確かにあったのです…そしてそこをインターバンが疾駆していたという事実。 九条山を過ぎればあとはひたすら下り坂です。奥が山科方で、右が蹴上浄水場。 このあたりが最急勾配の66.7‰だったそうです。その急峻さがお判りいただけるでしょうか。 そしてここが、あの蹴上です。右奥が山科方。 ここには歩道橋があったはずですが、どうも撤去されたようです。 蹴上を過ぎれば賑やかな街並が見えてきます。画像は神宮道前で、奥が三条方です。 現画像と旧画像とで赤丸で囲んだ茶色い壁の建物、同一のようです。 旧画像はそのポジションからして歩道橋から撮影したものと思えますが、現在同地点に歩道橋はありませんでした。 山科からの廃線跡巡りは、決して多くの遺構が残存していたわけではありませんが、かつての京津線の線路条件の厳しさと、 そしてその魅力が確かなものであったことを実感するのに十分過ぎるものでした。 これからも、京津線は人々の記憶や模型等の世界で、永遠に生き続けることでしょう。 ここ神宮道前で廃線跡巡りを終えた我々は、バスで河原町へと向かいました…。
by ar-2
| 2009-03-01 20:46
| 鉄道廃線(廃駅)跡
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